ナインイレブンとスリーイレブンの後で
※この文章は3月11日にあった東日本大震災のあと、原発が水素爆発した日のフライトで憔悴しながら予てから決めてあったイギリスへの卒業旅行中に書いたものです。
特に他意はなく、その時の日記書いたメモ帳を発見したので備忘のために記しました。
以下日記
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平和ってなんだろうとと思って考えていたら地震が来た。テレビでは悪夢のような津波の映像がリアルタイムで流れてくる。
この光景は少なくとも平和ではない。日本が終わろうとしている感覚に陥った。
ナインイレブンの再来。
でも今俺はイギリスにいる。街や美術館や田舎に行き文化を眺めている。この文化は何百年前から変わらずに残っているものだ。戦争もあったが変わらずに残って来たものだ。この国はすごい。
日本には街にはほとんど文化が残っていない。常に映り変わる日常しかない。新しいものが新しいものを飲み込んで行く。あるものを災害が綺麗に消して行く。日本には落ち着かない街しかない。
文化を楽しむ余裕がない。
どう頑張っても日本はイギリスの平和さには勝つ事ができない。イギリスにはまだ変わらずに貴族が何千人もいて、お金を使って自然と文化を守っている。
日本にはそんなやつはいない。文化は守らない、人も大事にしない。そんな金持ちしかいない。戦う事を義務付けられている悲しい人間しかいない。
平和とはなんだろう。
平和はここにあった。
じゃあ日本における平和とは一体なんだろう?
どうやった日本はこのレベルの平和を教授できるのだろう。同じである必要はない。日本における最高次の平和とは何かを探したい。