旅路の果ててまた会えたなら
10年という月日は以外に短い。
自分が10年前に高校生だったことを思うと、毎回新鮮に驚愕できるくらい短い。
そんなはずはない、
まだ10年なんて経ってないんだと思っても、
10年は短いんだ。あっという間だった。
思い返してみれば、ね。
この10年の間に自分は何千人の人とすれちがっただろう。
その人達の中にはもう二度と出会わない人もいるだろう。
数年おきに気づかずすれ違っている人もいるだろう。
10年経ってこの日本の最果てで再開できる人もいるだろう。
10年というのはそういう月日だ。
いつの間にか運命の人と再会してしまう程には、多くの日数を含んでいる。
それでも短く感じてしまうのは、きっときっと、出会い別れてしまった人と一緒に、僕の記憶も、一緒に頭から消えてしまっているから。
消えた記憶は戻らないのか。
いや、そんなことはないんだ、一つの方法を僕は知っている。
それは僕の記憶の外部記憶装置にまた出会うことだ。
消えてしまったと思っている記憶は、実はその外部記憶装置に綺麗に保存されている。
この外部記憶装置にはかたちがある。
人の形をしていたり、UFOキャッチャーで手に入れた景品かもしれない。
革製のキーホルダーかもしれないし、何十冊にも膨れ上がった大学ノートの中に入り込んだいびつな文字列かもしれないし、このブログのなんの変哲もないフォントで書かれた文章かもしれないのだ。
そうだ、今日だって僕は文章を書く。
未来の僕に、今の僕の記憶を再発明してもらうために。
まるで車輪の再発明のように、無駄だとわかっていても。
僕の車輪の再発明。