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僕のYak Shavingは終わらない

車輪の再発明をやめたらそこには壮大なYakの群れが

自分はエンジニアじゃないという思いは、きっと捨てたほうがいい

入社して一年が経った。

良くも悪くも一人前として扱われるようになって、仕事でもそれなりの精度を求められるようになったし、降ってくる粒度もかなり大きい。

「◯◯のサービスをつくる」で今は落ちてきている。もちろん全部を一人でやるのではなく、企画や営業、デザイン、マークアップエンジニア、QA、インフラと一緒相談しながらものづくりを行う。

このうちプログラマは大抵3人か、2人(本当に多くて5人)でやるんだけど今回はプログラマは1人だ。

とてつもなく大きいはずなんだけどなんだか自分は楽観的に構えてる。

客観的に見すぎていると言ってもいいかもしれない。

どこか絵空事のような感覚が残る。

 

「シミュレーテッドリアリティー」ではないけど本気になっていないのかもしれない。

 

そこにはきっと自分は本当は数学が好きで、アルゴリズムが好きで、でも東大生、京大生と戦えるほど頭は良くなくて、そこにもやもやしているものがあって、戦って負けるのが怖くて、結局保留にしてしまった過去があるからかもしれない。

 

「いつまでそんなことしてんの?」

 

と。

 

自分が得意だと思っていることを得意になれないで何が得意になれるのか?

「自分は本当はエンジニアじゃない、もっと上のレイヤーにいたい」

ってそれができないからエンジニアやっているわけで。

 

もっとプログラミングにはまっていい。少なくとも自分は、今なら会社で「スマフォなら自分だ」って言い切れる位置にいる。

それなのに本気にならないのか?得意になれるチャンスがあるのに得意にならなくていいのか?

 

「得意になりたいもの」を取るのか’「得意になれるもの」を取るのか。

そこ問題を考えるにはあまりにもう若くない。

 

自分にはある程度の責任があって、すべてを放棄して「得意になりたいもの」を追いかけらるほどの悪人ではなく、またそのチャンスにも巡りあえてない。

 

本意とは違っていてもチャンスがあるなら取りに行けばいいじゃないか、

がんばってエンジニアになっていいじゃないか。

そうしない限り、

自分の価値を提供することはこのあとも不可能だ。

 

 

 

 

 

「スマフォに徹してくれ、数学なんておいていって、スマフォでトップに立てばいいじゃないか」

 

なあ、自分

 

 

 

 

と。