僕のYak Shavingは終わらない

車輪の再発明をやめたらそこには壮大なYakの群れが

岐路に立って

出会ったときに「この人と働きたい」って(何か理由があるのでなく直感で)思ったことが過去に2度ほどある。

その人達とは実際に一緒に何かをしたり、長い間一緒に過ごしたりもしたけど、その時の気持ちはかわらなかった。


この感じは今この瞬間ではなく、将来も一緒に働きたい、働いているだろうという感覚。

そんなことを考えた時に、一体自分がそのときにどんな能力を持っていてどこにいるべきなのかを考えることがある。

そしていつも心の奥底で

「ああ、能力でも場所でもない」

と思う。


”その時”がもしも来たときに自分がどういった姿勢・スタイルでその人と仕事をして何を共通の問題として認識するのか?

出会ったときにその人と意思疎通ができる状態に自分を持っていっているのか?

そういった状態に自分をもって行くためにはどういう心の状態で日々を過ごせばいいのか?

そんなことを考える。


岐路に立ったときに何を選ぶのか?「辛い方に行け?」まさか。

今の自分があるのは自分が辛いと思うことを確実に認識しそれとは違う自分が本当に楽しいと魂の底から思うものは何なのかを選択したいと思って来たから。


「迷ったら楽しい方へ行け」を信じてるし、

「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」なんて思う死に方はしたくないし、

「道中楽しみたい、それだけさ」だし、

「人と生きる人生を」なわけで。


「やりたいことをやれよ」って言ってくれた先輩の期待とは裏腹に、

自分はここ東京でもうしばらくすごしてみたいと思ったのでした。